短文感想所

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聖の青春(2016) 3月のライオン(2017)

3月のライオンを観た。

 

実写映画化において、その映画を好きになるどうかは、結局はその監督と「萌え」の感覚が合っているのかどうか…に左右されると思う。

3月のライオン」と「るろうに剣心」は同じ大友監督。「るろうに剣心」の「萌え」は理解できたし好きだった。「佐藤健剣心」にやらせたいことが詰まっていたし、剣心を実写化するにあたって、こういうアクションをさせたいという想いを感じた。

でも3月のライオンは「萌え」がよくわからなかった。

 

神木隆之介桐山」

 

というキャストに萌えて見に行ったわけだけど、いまいち監督が「神木隆之介桐山」で成し遂げたい「萌え」がよく理解できなかったのだ。残念。

 

 

その流れで「聖の青春」

 

聖の青春

聖の青春

 

 

先ほど「神木隆之介桐山」の萌えはよくわからなかったと書いた。しかし観賞時に思いの他私がぐっときたキャストがある。それが「加瀬亮宗谷名人」だった。(感想をぱらぱら観ていると割と不評のようだけど)

実のところ宗谷名人は一番実写化が難しい人だったと思う。誰がやっても非現実的になってしまうだろう。

 

そこであえて、「宗谷名人」ではなく、宗谷名人のモデルの「羽生先生」に寄せた実写化をするなんてなかなか心憎いではないか!

映画を見終わった後、漫画を読み返す訳ではなく、なんだか羽生先生萌えが再燃し、動画サイトで対局やらを観賞。レンタルがちょうど始まった「聖の青春」も観賞。

 

 

しみじみと思うのだけど、生きているうちに自分がモデルになった映画や小説、漫画を観るのってどんな気分なのだろう。

 

決してわかることのない感情だな。

 

 

 

 

愛のむきだし(2009)

俳優さん女優さんの怪演が素晴らしく、エロスの力でひたすら最後まで観れる映画。

 

人間は両親に愛されて育った人も育っていない人も、心の中に「空洞」がある。それは両親の、無償の「愛」の後にぽっかり空いた空洞で、それを埋めるのに必要なのが、他の人の「愛」…という映画。園子音さんを観ると、「まともな人が作った映画だな」と思う。まともじゃないようにみえるけど根本にあるものがどこまでも「普通の人間」の感性に溢れているなと思う。

それは、「人間」を「愛する」ということにどこまでも肯定的だからだろう。

 

この映画をみて、思春期の女の子にとって、心の「空洞」を埋めるのが「美少年」だ…というコラムを思い出した。アイドルや、漫画のキャラクターが、魔物のように「空洞」に入り込む。きっと男の子の空洞と、女の子の空洞は全く違うのだろうな。

 

 

愛のむきだし

愛のむきだし